■ 金子歯科医院の沿革

1930年代
 先代の金子敏行はすでに開業していましたが、知人のつてを頼ってアメリカ、カンサスシティに留学しました。当時の写真を見た記憶はありますが、戦後の混乱の中で散逸し今は残っていません。2年間の留学中に得たものをフルに活かして東京、神田で再び開業しましたが1945年には空襲で全焼、焼け跡に残った器材を拾いに行った記憶があります。

その後、同級生のすすめで日本女子歯科医専門学校(現在の神奈川歯科大学)で初めての教職につきながら、現在地の東京中央区京橋に3度目のオフィスをもつことになりましたが、1949年には40才代の若さで亡くなりました。
金子敏行

1955年
追いつけ追いこせの時代
    「大学は卒業したけれど・・・・《というキャッチフレーズそのままの臨床第一歩でした。駐留軍のご声がかりで大学に昇格したといえそれは外側だけのこと、教員も専門教育内容も戦前からの専門学校そのままでした。上勉強な学生でもこんなことでよいのだろうかと思いつつ歯科医となったのです。米軍キャンプの診療の話などを聞くにつけ、こんなはずはないと思いながら入ってくる情報は戦前のものばかりだったのです。
1964年
    ようやく待望の海外渡航が解禁になり、持ち出し規制枠の$500と3万円をもって40日の旅に出ました。貧乏旅行でしたが、学生時代からのモヤモヤはすべて解消し、胸一杯の新しい空気を吸い込んで帰国しました。ただ、その消化吸収と新体制の構築には次の十年が必要でした。

1975年
      開業20周年をむかえ、父の代からの患者さん、スタッフ、先輩などをお招きして記念パーティを開くとともに「患者と歯科医《というパネルディスカッションを行いました。 パネラーは歯科医師でしたが、司会は経済評論家の患者さんにお願いするという思い切った企画でした。 はっきりした結論や合意には到りませんでしたが、多数の患者さんにも参加して頂いて意見交換ができたことは、その後の大きな拠り所になりました。


1990年
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2017年
院内案内 : 受付~診療室~レントゲン室~技工室
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