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土竜のトンネルには、毎月初に2008年カレンダーとして、 バオバブの詩続編を掲載しています。

 1. マダガスカル


   もしかしたら!という淡い期待はありましたが、それを上回るすばらしい旅でした。現地滞在はわずか5日間でしたが、心の中まで洗い流されて、生まれ変わったような気分で帰ってきました。  満たされたのはバオバブへの思いだけではありません。それよりも自分たちのことを誇らしげに「マラガシ」と呼ぶ人々の生き方の素晴らしさに魅了されました。始めうちこそどうにもならない貧困に目を背けたいような気分でしたが、やがて今の日本を覆い尽くしている暗い出来事のすべてが、ここでは起こりえないことをいやというほど見せつけられました。  町中を走り回る子供達の声、静寂な入江中に響き渡る漁師のかけ声などヘッドフォンに塞がれた耳には聞こえるはずもありません。何処までもすたすた歩いていくための伸びやかな脚、重い荷物を載せるための真っ直ぐな背筋も目を引く美しさでした。そんなあれこれに目を奪われて「被写体負けしているな!」と思いながら夢中でシャッターを押し続けました。  D200の初戦でもあったのですが、やや早い電池の消耗を除いては快適な撮影を続けられました。赤い砂を大分吸い込んだようなので、折を見てクリーンアップしてもらおうと思っています。  D200/RAWへのAdobeの対応がおくれているので、RAWは封印したままで当面はJPGで見るしかありません。

2. 旅の準備


   9月21日マダガスカルのことを書いてから、今年は無理をしても出かけるぞと心に決め準備を始めました。古いヨーロッパの写真や、10年以上も過ぎてしまったタヒチシリーズなどでやり繰りしてきたマイカレンダーの資料が底をついてきたからです。まだ数年では止めるにも止められず、さりとて毎年なけなしのスライドを漁りをする情けなさには愛想を尽かしていました。
 むかしの旅先を辿ってみても局面打開はできないことははっきりしています。新開地を求めて旅に出るとなると南米、カリブ、アフリカ周辺などへ遠出することになりますが、付き合ってくれそうな相手も見つかりませんし、片道20時間近くのフライトへの不安、一人旅のプランニング、そして意外にも旅行用のデジタルカメラシステムなどが問題でした。

 第一の候補地のマダガスカルは資料も少なく、これまで何度も計画頓挫してきましたが、今回は紹介者もなくかけた電話にまともに対応してくれた、アフリカ方面専門の旅行社に下駄を預けました。見込みはずれが怖かったので、始めはセーシェルとマダガスカルのセットで計画を始めました。しかし地理的には隣接している2ヶ所をまわることが意外に難しく、結果的にはマダガスカルのみのショートトリップに落ち着きました。滞在地では車とドライバーを依頼しました。

 次の問題点は電力事情です。ヨットのクルージングでも12Vか24Vでパソコンやデジカメの充電には悩まされてきました。マダガスカルは200VでBタイプのコンセントということは分かったのですが、地区によりコンセントの形が異なったり、夜間停電があるなど安定供給にはほど遠い状態らしいのです。この状況下でカメラのバッテリー充電やメディアからの転送をどうするかが問題でした。
 カメラの方はD200のスペア電池以外に、予期せぬアクシデントにも備えてD70ボディと電池も持参し、充電なしでも持ちこたえられる準備をしました。最後まで迷ったのはデータのストレージです。ストレージ用のHDなどをすべてチェックしましたが、何れもカメラ以上の電力食いです。その上信頼感はもう一つですからデータを移した後、メディアを空にするのは大いに勇気がいりそうです。ここでトラブればすべてがフイになるからです。メディアのままならばカメラで画像の確認もできますが、ストレージではエプソンなど大型のもの以外は見られなくなってしまいます。散々迷いましたが、どちらも日常的には不要なものを買い込む無駄は同じなので、ストレージを買うよりはメディアのまま持ち帰ることを選択しました。
 撮影レンズはレンズ交換を最少にするためニコン18〜200を主力に、ワイド側をシグマ10〜20で補うことにしました。(デジタルスクエア 05.11.8 35ミリとの訣別参照)
小さなつまずきはありましたが、全体的にはかなりうまく行ったと思っています。

3. 旅の仲間



知らない国を一人でレンタカーは無理なので2つの町で二人のガイドを頼みました。といっても最初の町Tulearのガイドは、車は持っていないらしくRav4をもっているドライバーと一組になっていました。年齢29才のガイドはかなりきちんとした英語をしゃべるのですが(紺のTシャツ)、ドライバーはまるでダメ、いきおい彼ら同士の話が多くなり、時折急にこちらに話を向けてくるので、その対応はストレスになりました。このガイドは如才ないだけに調子が良く、好きになれるタイプではありませんでした。我慢していたのですが、だんだんいらいらが募ってきて、3日目にはついに契約時間前だったのですが空港で追い払ってしまいました。

 2つ目の町Morondavaでも地元の旅行社のチーフから、ドライバーとガイドを紹介されたました。しかしドライバーに片言ながら英語が通じるらしいと分かったので、一瞬の判断でガイドは要らないと断ってしまいました。このチーフはなかなかしたたかな者で、この後しばしばつばぜり合いを演じましたが、こちらもAppleやAbobeなどに鍛えられているので敵ではありませんでした。

 ホテルを朝出てしまえばチーフは関係ないので、ドライバーとの人間関係がすべてを左右します。年齢は聞きませんでしたが多分40代でしょう。言葉は限られているのですが勘の良い人で、こちらの気持ちをきわめて良く理解してくれました。単なる案内だけでなく現地の人たちや子供達との間に立って交流の場を作ってくれました。もともと人なつっこい「マラガシ」ですが、彼なしでの3日間は考えられませんでした(1月4日の写真もバオバブの実をとっていた子供達と仲間になったおかげです)

 最終日、思わぬ車の故障で数時間ストップしましたが、ケイタイで誰かを呼ぶでもなく、黙々と30年物の日産パトロールと格闘する姿には頭が下がりました。結局、通りかかった同じ旅行社の車に便乗させてもらって、私だけ先にホテルに帰りましたが、夜、自力脱出してきた Jac(ジャックと豆の木の大男のイメージなのでこう呼んでいました)を見かけたときは思わず抱き合ってしまいました。  バオバブの下でのできごとでしたから、日産パトロールが不時着した星の王子様の飛行機だったのです。

4. ホテル
   最初のホテルは、部屋からもレストランからもすぐ海に出られるという最高のロケーションでした。残念ながらほとんどお客はなくお化け屋敷状態で、レストラン黒板の本日のメニューもまったく変化なし、目玉焼きがやっとというフリーター料理人でした。部屋のクーラーは飾りもので、夜中には電気が止まるので、懐中電灯なしでは部屋の中も歩けませんでした。
 2軒目はBaobabu Cafeという名の小ぢんまりしたペンション風で、日本にもPRがきいているらしく、安普請ながら活気がありました。部屋は暗くいまいちでしたがクーラーも作動し、食事もまずまずでした。
 3軒目は立ち寄っただけで宿泊はしなかったが、室内の床もすべて白い砂という面白いインテリアで、いかにもマダガスカル感じでした。ちょうど清掃中できれいに掃き清められ、手入れも良さそうでしたが宿泊客はなさそうでした。帰国のフライトの都合で1泊せざるを得なかった、カジノつきのハイヤットなどよりは何倍もましなのに残念なことです。

 雨期にもかかわらず心配していた雨にはまったく降られませんでした。表は首都アンタナリボの降水量などを示す表で、これで通りならば絶望的な時期でした。そうならなかったのは、私が選んだコースがアフリカ側の西部の海岸で、日本の冬型天候と同じように、こちら側には雨が降らない時期だったようです。

5. 道路


   マダガスカルでの行動を決める上で、車による移動時間がなかなか理解できませんでした。空港から町の中心まで25キロなどと書かれていれば、はじめは20分ぐらいだなと思っていました。ところが旅行者の体験記などを見ていると何と「2時間!」などという話がでてきます。始めは何のことかさっぱり分かりませんでし、道路状況が悪いからだと分かってからも、具体的にどういうことなのかは分かりませんでした。
 上の写真は典型的なタイプで先のとがった石が多数顔をのぞかせています。しかし石はかなり深く埋まっているらしく、先端は磨かれて丸く光っています。この路面の走行限界は時速30キロぐらいで、これでキロ数を読んでいけばかなり分かってきます。この石を避けて路肩を走りたいのは車も牛車もおなじ事です。牛車を追い抜こうと真ん中に出ても、速度は上げられませんからかなり辛い時間を耐えねばなりません。
 こんな具合ですから車は右でも左でも少しでもましな路面を選んで走ります。センターラインなんて言う言葉はありません。少し路面が良ければギリギリまで対向車とせめぎあいです。最後に右によけるか、左によけるか、相手によけさせるかは顔を見てからの勝負のようですが、ナポリの喧噪などとはちがって、むしろ楽しそうにお互いにヒラリと交わしていくのです。
 3番目はサファリラリーを思わせるような赤い土です。モロンダバ郊外の田園地帯にはこんな道路もたくさんあり、スピードは一挙に上がりラリー気分です。ただこの赤い土、排水が悪いらしく雨の後の水たまりは簡単にはなくならないようです。いい気分になっていると水たまりを吹き飛ばし、車は大きくジャンプ!となるはずですが、わが親友ジャックはすべてを知り尽くして、ポンコツ日産パトロールをレーシングカーのように操っていました。

6. タマリの樹




   「これは何の樹、気になる樹」という唄がありますが、その親分とも言えそうな樹がマダガスカルにあります。日本人ならタマリという名前だけでも一度きいたら忘れないでしょう。どんな日差しでもこの下にいれば快適ですし雨宿りにも完璧です。村の果物屋さんもコーヒーショップもあって、ホテルのモーニングサービスなど問題になりません。広きさは中途半端ではなく小さな集落のたまり場がすっかり取り込まれています。コーヒーを飲んでいる間に車ごとすっぽり冷やしてくれなど、あのコマーシャルソングよりはるかに生活と密着しています。

 このタマリですがバオバブと仲が良いらしく、しばしば寄り添うように生えています。天を貫くようなバオバブも枝や葉は空の彼方にちょっぴりですから、木陰はほとんどなく憩いの場はつくれません。それをしっかり支えているのがタマリです。どちらかだけということもできないでしょうが、部落の集会などもかならずこの樹の下で開かれるようですし、実益という点ではタマリに負うところが大きいようです。
 下の写真の左がバオバブ、右がまだ子供のタマリです。

7. バオバブ




   マダガスカルには8種類のバオバブがあるといわれています。写真はTシャツにプリントされていたものからのコピーですが文字の方は判読困難でした。アフリカには1種類、オーストラリアにも2種類があるということですが、種類の多さ特徴的な形態などでマダガスカルが群を抜いているようです。有名なバオバブの並木道の絵はがきなどによく登場するのはグランディエリですが、ボトル型をしたフニー、下からも枝を伸ばしているザー、Tの字のような形をしたスアレゼンシスなどもどうやら見分けることができました。今回はマダガスカルのたった2地点だけでしたが、地域が変わると同じグランディエリでも、プロポーションが大きく変わるようなので、個性的で興味深いことは間違いありません。
 特に大きな古木は神木、聖木として大切にされることは古今東西変わりないようですが、そうしたバオバブにはやはり近づきがたい雰囲気を感じました。下の写真はごく庶民的なバオバブですが、田んぼの中でみんなの役に立ったり(ロープにするため皮を剥ぎ取られている)藪の中に放置されたりしているものです。こんなバオバブでも日本に移住してくれれば、観光名所になること間違いないでしょうが、あの独特の空気感までは連れてこられないでしょう。
 今回100本近いバオバブの写真は連れ帰ってきましたが、かなりはまり始めているので、正月は門松代わりにバオバブ詣でなどということにならないように心しています。

8. 乗り合いバス




   ルーフから両サイドにずらりと鶏がぶら下げられたこのトラック、前から見たときにはニワトリ屋の車だと思いました。写真を撮っているうちに横に打ち付けた板の間から、指輪のはまった手がのぞいているのに気づきギョッとしました。後ろに回ってまたまたびっくり、荷台には向かい合わせのシートがあり10人近くの人が乗っていたのです。もちろんニワトリはみんな元気ですから、くちばしで突っつかれないよう白いシートで防御していたようです。
 この車の前では大型のトラック(バス)が積み込みの真最中です。乗客はすでに満席でその後ろからどんどん荷物を押し込んでいます。もうドアーが閉まるかどうかぎりぎりですが今度は屋根に積み上げ始めました。いつ出発するとも知れない状況も、誰も気にしている風はありません。車窓をまわって飲み物などを売っている人もいますし、中の暑さはたまらん!と後輪タイヤをソファー代わりにくつろいでいる人もいます。いくつものドラマだ同時進行していて、見ていて飽きることはありません。
 このバスターミナルはマーケットのはずれにあり、買った物をすぐに運べるようになっているようです。マーケットの品揃えも興味津々、何の道具か聞いてみなければ分からないものだらけです。

9. 動物



   マダガスカルにはさまざまな固有種が残っていることは有名ですが、今回の主な対象ではなかったので、あまり気合いは入っていませんでした。それでもキツネザルなどの動物保護区に到着する前、いきなり目の前1メートルほどのところを、シファカ横っ飛びのお出迎えを受けた時には、びっくりして腰が抜けそうでした。この後保護区の案内人と森の中を2時間ほど歩き回りましたが、残念ながら同じようなジャンプを眼前にすることはできませんでした。こちらは忍耐と経験が必要のようでいたが、カメレオンやイグアナは保護区などにでかけなくともよく見かけます。ホシガメなどと同様、のんびりしていますから撮影は簡単ですが面白みもありません。この保護区、スイスの団体が運営して別名スイスの森と言われているそうですが、来るのは圧倒的に日本人のグループだそうです。
 撮影が面白くないことは同様ですが、シーラカンスは見たかったものの一つです。何億年か昔に死滅したと信じられていた魚が、漁師の網にかかり世界中で大騒ぎになったことや、その後も何度か捕獲された話を何かで読んでいたからです。期待とともに出かけた海洋博物館は、倉庫のような二棟の平屋でエアコンなどもありません。埃だらけのデスクにホルマリン漬けと壁にイラストが一枚。しかし撮影は禁止だというのです。「大したことないけどせっかく来たのに!」と思っているとチップを渡せばOKというガイドの話です。彼らの分け前はともかく数百円のお小遣いです。急にやるきをなくし、2〜3枚撮るだけ撮ってつぎに建物へ。こちらは8〜10畳ぐらいの広さでしょうか、カヌーのわきの棚に剥製がはだかで転がっています。
 こちらも撮って帰ろうとしたら、もったいをつけるように「これは特別なことなどで公開はしないように!」はいはいと帰ってきましたが、太古の、神秘の夢はぼろぼろに破れました。

10. シルエット




   帰国後半月が過ぎましたがまだその興奮から抜け出せていません。スクリーンセイバーにいれた写真を眺めながら、何にとらわれているのだろうかと自問しています。レベルはまったく違うのですが、1962年学術調査団に同行したレニ・リーフェンシュタールが、スーダンのマサキン・ヌバに出会い「もっとも美しい人類」と感嘆して、その記録に通いつめた話が下地になっているような気がします。写真集「ヌバ」は1973年にまとめられましたが、80年に出版された日本語版を感動しつつページをくったことを鮮明に覚えています。
 今回撮影してきたお気に入りの写真を選んで流していると、バオバブもさることながら「マラガシ」の美しさに引きつけられて、カメラを向けてきたらしいことが分かります。スポーツ選手の鍛え上げた体とはちがって、彼らの美しさはもっと日常的な生活から生まれたものです。大人も子供も同じようにきれいな体型で、子供達がポーズをとったり踊りのまねごとをするとそのラインが引き立ちます。顔立ちや表情は黒い肌に隠されて適正調光ではよく見えませんから、空や海をバックにアウトラインだけが引き立ちます。広大な景色の引き立て役としてそのシルエットは素晴らしい効果を生んでくれるのです。
 お土産に買ってきたTシャツの中にも、マダガスカルの風物をスタンプのように扱ったものがあります。小さな画なのですがあのトラックやこぶ牛のひく車など、彼らがこよなく愛している情景が描かれてきます。夕日に沈んでいくバオバブのある風景もシルエットです。
 たった1週間未満の駆け足旅行ではその実情など垣間見ることもできません。単一言語であることには救われているにせよ、フランス植民地時代以来の歪みを引きずって、社会的にも多くの問題をかかえているようです。そんなことににはお構いなく、藤代清治さんの描くような、影絵の世界にどっぷり入り込んでしまっているようです。そろそろ1月も後半、来週には社会復帰が必要です。
11. 後始末
   10回目で終わりにしようと思っていたのですが、応援メールを頂いたり、写真のプリントを始めたりしているうちに、またずるずるとインド洋の彼方に引き戻されています。

 スライド時代からプリントの色調には馴染めなかったので、ネガカラーはあまり使いませんでした。デジタル時代になってからはCDを渡したりしてすませていたので、たまにインクジェットを使おうとするとインク切れ、ノズル詰まりなどですんなり使えたためしがありませんでした。今回も現地の人に写真を送るのに2〜3年前のインクジェットを使おうとしたのですが、ノズル詰まりで修理が必要ということでした。
 修理代を払うくらいならというプロジェクターの時の伝で、新しいインクジェットを調べました。やはり修理代で、はるかに高性能のプリンターが買えるのです。修理は中止しビッグカメラで1万数千円のエプソンの PM-G730という機種を買ってきました。カラーコピーなどとの複合機種が多いなかで取説もついていないお手軽機です。記念写真をプリントしてから、今回の旅行の写真を A4 にプリントしてみました。ところがこれがなかなかの実力で、すっかりインクジェットのイメージを変えてしまいました。ディスプレーで見ているのとほぼ同じ色調は再現できるようですし、画質的にも A4 プリントでは十分余力がありそうです。1000万画素を越えたD200の効果もまざまざと感じられます。
 データ量としては少々不足ぎみですがこうなると A3 か A3ノビぐらいにしてみたいというような欲もでてきます。(新しい顔料のプリンターなどもいろいろ出ています。)フルサイズなら A2 も射程内だななどと思うと、EOS 5Dを購入した奴の顔もちらりと浮かびます。ただ、ここで突っ走らない経験はしてきました。
 始めは感動してパネルにでもするでしょうが、2枚、3枚となると掛ける壁がなくなります。さらに多くの大型プリントを作れば置き場に困り、もらい手もないという事態に追い込まれるのです。
「最終的にどうするのか?」から出た結論がA4ファイルによる35ミリスライド保存でありデジタル化だったのです。プリンターは危険です。

12. 習い性
   旅行中ふと気がつくと、それ以前に撮影した写真の説明用のショットを追っている自分がいました。それ自体はろくな図柄にもならないのに、誰かへの説明資料を作っているのです。ケースプレの貧乏性がこんな時にも!と思うとゾッとましたが、それでもまた話をする自分を予想しながら撮っていました。

 しかし考えてみるとこうしたことはケースプレばかりのせいではないかもしれません。学生時代からスキーに行くにも、旅行の時もカメラは常に一緒でした。いい写真を撮りたいだけの一心で、辛い登りも頑張れましたが、天候が悪かったりカメラが具合悪かったりすると、途端にやる気をなくしていました。つまり誰かに見せたくてやっていたわけで、その時の反応をいつも気にしながら写真を撮っていたのです。何かのテーマをもった組写真や、8ミリムービーになればなおさらです。ストーリー性は絶対に必要ですから、途中のカットが不足したりすれば全巻が没になりかねません。それやこれやが染みこんで、何かを記録をするとそれにまつわることごとも、記録するという強迫観念に追われるようになったようです。

 マダガスカルの道路は、昭和20年代の日本の悪路以上のものです。高速道路の渋滞には苦しんでも、穴ぼこだらけの砂利道を縫って車を走らせる厳しさを知る人は少なくなったでしょう。となるとどう酷いのかという写真が必要なのです。最初のうちこそ見るもの聞くもの目新しくて、それどころではないのですが、落ち着くとさまざまな悪路のスタイルを記録し始めます。しかし思い通りの悪路はそう都合良くは出てきません。だんだん枚数が嵩むことになるのです。こちらも荒波にもまれていますから撮影は容易ではないのです。トラブル症例とよく似ています。


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