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ハッセルとぐい呑み

最終回

 

 

 

灰釉 酸化(左)と還元

 

織部 酸化(左)と還元

 

「酸化焼成か、還元焼成か」

 窯の中の温度は当然上の方が高く下の方が低くなります。それぞれの場所で釉薬がうまく解けるように、25種類の釉薬は解ける温度を少しづつ違えて作ってあり、「窯詰め」は釉薬の種類によって置かれる場所が決まって行きます。因みに、私の窯は小さなモノでぐい呑が一度に150個程しか入らないモノですが、それでも上下の温度差は思ったよりも大きいのです。
 本焼きの焼成時間は私のやり方で22時間かかります。方眼紙で縦軸に温度を、横軸に時間をとってまず理想温度上昇線を書き入れて、時間とともに温度が理想線の上をなぞりながら昇ってゆくように、ガス圧と空気の量を調節しながら、焼き上がりの1270度まで面倒を見てゆきます。
 950度を超えるあたりで「酸化焼成」か「還元焼成」かの分岐点に来ます。酸化焼成は最後まで酸素をドンドン送り込んで完全燃焼の炎で焼き、還元焼成は950度辺りから酸素を少なくして行き、さらに炎を煙突から出にくくしてしまう不完全燃焼での焼き方です。こんな事をして何が違うかと言えば、元素が酸素とくっ付か、くっ付かないかで顔料の発色が違って出るのです。例えば鉄ならば、酸化では「明るい茶色」に、還元では「沈んだ焦げ茶色」にあがり、お気に入りの灰釉はと言えば、酸化では暖色系の茶色に近いグリーンに、還元では寒色系の澄んだグリーンになります。釉薬で特に違いを見せるのは織部と辰砂で、酸化では緑に、還元では赤にと際立った変化を見せます。全体的に、日本の伝統的な陶芸作品は還元の方が多いようです。
 約22時間で目的の温度になり窯は終わります。窯は焚いたと同じ時間冷ますのが基本ですから、私の窯では約一昼夜冷ますと言うことになります。翌日窯出しをしますが、焼き上がったものはどれも可愛くて、仕上がったものを自分の手で割るという大先生のようなことは、とても私には出来ません。
 私は、1個として同じモノがない「ぐい呑」をこだわりながらこうして作っています。

 

 

灰釉のぐい呑

案内状

 

灰釉のぐい呑2

個展かみさんと

 

 

 

コンテストから展覧会「萬盃展」へ

 こうしていろいろなぐい呑が出来上がると、最初の頃は遊びに来た友人などに押しつけていたのですが、だんだんと沢山の人に見せたくなるという哀しい性がむくむくと頭をもたげてきます。1987年、伊勢丹「ぐい呑ちょこコンテスト」に入選したのをきっかけにその思いがますます強くなりました。師匠もそれを察したらしく、ぐい呑だけの展覧会をひとりでやるのは珍しいし、東京には沢山の友達がいるのだから個展をしてみたら、と言ってくれました。そこでいい気になって1988年に神田・室町砂場の真向かいのギャラリーで初個展「萬盃展」(よろずぐいのみてん)を開催しました。
 写真の展覧会とは、来ていただいて、見ていただいて、それだけでありがたいものなのですが、陶芸の展覧会とは、さらに買っていただくという項目がつきます。そして、どのくらい売れたかと言うのがその展覧会の大切な評価になる事に、写真家としてはびっくりさせられました。
 そうと解れば笠間での後々の評価のためにも何とかしなくてはなりません。もう義理売りしかないと決め、先輩にはお願いの、後輩には脅しの、案内状と電話の攻勢をかけました。会場では日本酒を用意して、ぐい呑の口当たりや呑みごこちを試してから買っていただくことにしました。酒のせいか、脅しが利いたのか、最終日前に完売となりました。一個の値段が3000〜5000円はちょうど義理を果たしやすい額だったのかもしれません。ぐい呑は全部で120個ほどだったので売上額は、作陶展としては多くはありませんでしたが「完売」の実績は笠間でもピカピカと光りました。
 ますますいい気になって「萬盃展」Part2 ギャラリー展(銀座1993)、Part3  ギャラリー環(銀座1994)、Part4 ギャラリー工(谷中2000)、と相変わらずお願いと脅しとで四回も開催しました。
 次の時にはこのホームページにお知らせを載せていただくつもりですので興味のある方は是非いらして下さい。

 

 

灰釉のグリーン-A

信玄袋とぐい呑

 

 

マイぐい呑

 確か2回目の萬盃展の時、会場に来てくれた友人と呑みに行って、友人が買ったばかりのぐい呑を使ったら「マイぐい呑って、いいじゃないの!」と、すごくうけました。これはいいなと思ったのですが、ぐい呑を裸でカバンやポケットに入れて持ち歩くわけにも行かないので、考えた末に小さな「信玄袋」に入れて持ち歩くことにしました。最初はカミさんに適当に作ってもらったのですが、持ってゆくと必ずと言っていいほど誰かに拉致されてしまいます。それならばぐい呑とセットにすれば売れるのではないか、とさっそく古い和服の端切れを使って信玄袋を作りました。爆発的に、というわけには行きませんでしたがそこそこは売れて、いまでも密かな人気はある様です。
 お店に入って、その店の器を使わずに「マイぐい呑」を使うというのも、いやらしいといえばこれほどいやらしいことはないかも知れませんが、呑みにくかったり、持ちにくかったり、縁の欠けたりする器で呑むよりはずっと気分良く、美味しく、楽しく酒が呑めるはずだと思って一人悦に入っています。

 

 

天ぷら屋

三角座標

稲田と筒井修氏

 

 

陶炎祭(ひまつり)

 春のゴールデンウィークの7日間(4/29〜5/5)笠間では陶芸家のお祭り「陶炎祭」が開催されます。これはあちこちでやる陶器市とはやや趣を事にして、笠間の陶芸家達の手作りの祭です。現在すでに参加者全員が、それぞれのセクションに分かれて準備を始めています。「笠間芸術の森公園」内のイベント広場で200軒の窯元がテントや手作り小屋で焼き物を販売するだけではなく、陶芸家自身が店主となって45軒ほどの飲食屋も出店します。因みに私は信玄袋も売っているぐい呑屋の隣で、「酒処・山菜天ぷら屋」の親父になってカウンターで、山菜や、野菜の天ぷらを揚げ、ビール、酒を出しますが、今年で6年目になる今では屈指の人気店になりました。ステージでの催し物やバンドの演奏、何度も行われる焼き物のオークション等々一日はアッと言う間に過ぎてしまいます。
 特筆すべきは、今年は20周年を迎える記念の年ですが、陶炎祭実行委員長は私の師匠の筒井 修氏です。
 東京から日帰りで、ゆっくり楽しめますのでこれまた、是非お出かけ下さい。
 常磐高速道路 → 北関東自動車道 → 友部インター
 →(3km)→ 陶炎祭会場
 詳しいお問い合わせ 笠間焼協同組合 TEL 0296-73-0058
 http://www.kasamayaki.or.jp/

 

 

釉薬の原料2

撮影会 北フランス

 

ハッセルブラッドは今?

 色々と自分なりに陶芸と格闘をしても、笠間では残念ながら「カメラマンの稲田」の方がずっと通りは良いようです。そんなわけで仲間の陶芸展の案内状の写真撮影依頼は年間を通すとかなりの数になります。お世辞が半分でも、焼き物が解るから安心して撮ってもらえると言われると嬉しく、よけいに身が引き締まるおもいで撮影しています。最近では陶芸家同士の口コミで益子の陶芸家からも撮影の依頼がくるようになりました。ここでも相変わらずこだわって、これらをすべてハッセルブラッドを使って撮影しています。6×6cmサイズのフイルムはハッセルで撮ってあればどんな使用にも耐えられます。
 
 こだわってみると時々神様は面白いことをしてくれるもので、笠間に住まいを移した直後の頃、あれほどこだわっていたハッセルブラッドの、日本での総代理店のシュリロ・トレーディングよりハッセルブラッド・フォト・クラブ(HPC)というアマチュア組織への撮影指導の話がありました。HPCは全国組織のグループで1000名程のメンバーが北海道から九州まで広く散らばっています。ハッセルのユーザーはアマチュアといってもハイクラスの人達なのでカメラの話をするだけでも面白そうです。それならばと言うことで喜んで引き受けました。主な活動は年間に5〜6回の国内の撮影会と1回のヨーロッパを中心とした海外の撮影会の撮影指導でした。付き合いはじめてみると会員の熱心さと、写真好きさは、まさに「けもの辺」が付く程で、写真と陶芸をひっくり返せば、自分も全く同じなのだろうと改めて感じました。この仕事も15年以上も続いてしまい、今年の海外撮影会は、6月に25名のメンバーと共に南フランスとコルシカ島へ出かけます。
 HPCのメンバーは比較的高齢の方が多いのでカメラの経験も長いのですが、なんと言っても人間性豊かな人生経験をお持ちの方が多く、写真のことでは私も先生のような顔をしていますが、それ以外のことでは周りが皆先生で、色々と学ばせていただき本当にありがたく思っています。
 やはり「こだわり」は持ってみるものですね。

 

 おわり

 

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