北国の遅い春は、5月の足音を聞くころ訪れる。さも重そうな桜やライラックが、枝もたわわに咲きそろい、辺りの空気そのものが花の香りでむせ返るようになるころ、ベティー、ジム、みどり、ダニーの2カップルと俺で、ワトキンズ・グレンの移動遊園地を訪れた。

いろいろな乗り物を積んだキャラバンが到着したというニュースは、近隣の村々にアッという間に広まり、週末ともなれば、子連れの一家が四方八方から集まって、にぎやかなのなんの……。

   そこでは同時にファーマーズ・マーケットも開かれていた。近くの村の農家の人達が、野菜果物はもちろん、自家製のパンやジャム、蜂蜜をはじめソーセージやお菓子まで、いろいろな手作り品を並べた店を広げる。おいしいものがいっぱいの店先に胸を躍らせるのは俺ばかりでなく、集まった人はみな旺盛な食欲を発揮している。中には、ホームメイドの猫ちゃん専用グッズを売っているおばさんまでいた。

   乗り物に乗るのは交替で、だれか乗らない人が俺を預かってくれた。(俺は本当に、狂ったような速度で走ったり転がったり滑ったりすることだけは、もう絶対、死んでもお断りだ)乗りたいものにもひとわたり乗り、それぞれ欲しい物も買い、焼き立てのソーセージをほお張りながらブラブラしていたとき、ベティーが変な看板を見つけた。
「見て、見て。ほら、ジプシー占いだって。面白そう。ね、覗いて見ようよ」

   みどりも占いは大好きだ。女の子二人、キャーキャー言いながら入って行こうとするのを、男二人が渋い顔を見合わせた。
「またか。どうして女って占いが好きなんだろう。まったく非科学的なんだから」

   そう言ったのはダニーだ。科学者面しちゃって。
「まあ、いいじゃないか。ただの遊びさ。それに、たいして高いわけでもないし。それじゃ、二人ずつで入ろう」
太っ腹なところをみせたのはジムだった。最初にジムとベティーが入り15分ほどして、顔を紅潮させながらベティーが出て来た。後ろからうれしそうな顔のジムが続く。
「なかなか当たってるみたいだよ。さ、君たちの番だ。入った入った」

   ダニーは速足に入って行くみどりに引きずられるように、渋々入っていった。もちろん俺も一緒だ。



   テントのような小屋の中は薄暗く、甘ったるい、眠気を催させるような香りが焚き込められている。とりとめのない柄の布やフィッシング・ネットのような網、それに毒々しい色のランプがそこらじゅうにぶら下がって、一方の壁には、手相の図と、星座の図の大きいのがピンで止めてある。

   占い師というおばさんは、皺だらけの顔にすごい厚化粧をして、ありったけのネックレスだのビーズ玉だのを首から下げ、指輪なんかスタイルも色もまちまちな大きいのを3つも4つもはめている。腕輪だって金やら銀やら石の入ったのやら、合計10個はしていただろう。

   もちろん耳からも、アラジンのランプみたいな大きい金色のやつがぶら下がっていた。ぴったりした黒いセーターの上から、ロシアのマトゥーシュカのようなショールを羽織って、頭はやはり花柄のスカーフを被っている。おばさんは、みどりとダニーを見ると、黄色い歯を剥き出してニヤリと笑った。

「いらっしゃい。おたくたち、いま来たカップルの友達だね。恋人同士なんだろ?」
 と、みどりの方に手を差し出す。
「さ、手を見せて。フムフム、あんたはなかなか入り組んだ運命を背負っているようだね。で、坊やの方はどうだろう?」

   今度はダニーの手を取る。二人の手を並べたまま、そっと手の平の線をなぞって比べているようだ。
「あんたたちの将来は、一筋縄ではいかないよ。残念だけど。性格は合ってる。でも、環境が違う。育った環境、背景、考え方――何も共通点がない。結婚までいきたいと思うんだったら、よっぽどお互いが努力しないとね。あ、お嬢ちゃん、あんた、猫を飼っているんじゃないかね?」
「え、ええ。今ここにもいます」
と、びっくりしたみどりが、椅子の後ろに隠すようにしていた俺を、おばさんの目の前に持ち上げた。
「ふむ。この猫が問題だ。これが、あんたの結婚をことごとく邪魔する。あんたのことが大好きで、悪気はないんだが、いつもこの猫が原因で、相手と別れることになる」
「そんな馬鹿な!」
「ま、いい。ともかく、二人とも、将来の金運は……」

   おばさんの占いはしばらく続いたけれど、俺はすっかり腹を立て、後は何も聞いていなかった。このまやかしめ。こんな奴に俺のことまで分かってたまるか。俺がみどりの邪魔をするなんて!
   やがて占いが終わって、二人は、気まずい面持ちで小屋を出た。



   期待に顔を輝かせたベティーとジムに、ダニーが言った。
「なに、ただのまやかしさ。だから言ったんだ。こんなものに5ドルもつかっちゃって。とんだ無駄をしたよ」
「そうかな、僕たちは結構当たってるって、面白がってたんだけど。あのね、僕たち、間違いなく結婚するってさ」
「当たり前じゃないか。君たちはもう婚約してるんだもの」
「あら、まだ正式な婚約式は済んでいないわ」
「式なんて、済んだって済んでなくたって同じさ」

   ダニーの不機嫌な様子に、ジムはベティーに、もう何も言うなと目で合図した。
せっかく楽しかった一日が、みるみるうちにしぼんでいく。帰りの車の中では、みんなほとんど口もきかなかった。

   その晩、ジムとダニーが帰ってしまってから、みどりはベティーに、ジプシー占い師から言われたことを話した。
「みどり、そんなの気にしないで。私たちだって、本気で信じたわけじゃないもの。ただ、希望と予言が一致すれば悪い気はしないでしょ。それでちょっとはしゃいだだけ。それに、私、正直言って、ジムと本当に結婚したいのかどうか、まだよく分からないもの。こういうことは、じっくり考えるにかぎる。いろいろなファクターを計算して。人生長いんだから、いま好きだからいいってものじゃないのよ」

   いかにもクールで現実的なベティーらしい意見だった。
その日、ベッドに入ってから、みどりも俺も、なんとなく何かが胸につかえたようでなかなか寝付けなかった。



   それから瞬く間に時は流れた。1年生だったみどりたちも立派な4年生となり、それぞれ必要な単位も取得し、あとは卒業式を待つばかり。みどりとダニーは相変わらず、周囲も本人達も認めるステディーなカップルであり続けた。 もちろん喧嘩はしょっちゅう。ひどいときには、2週間も口をきかないこともあったが、ともかく最後は元のさやに戻り、みどりが休暇に日本へ帰るとき以外は、どこへ行くにも一緒だった。

   4年生の冬には、大学院に進むというダニーが、日本との交換プログラムの下見をというので日本を訪れ、みどりの両親にも紹介された。おばちゃんはイサカで会っていたし、みどりからしょっちゅう話を聞いて、結構好感を持っていたから、大学院の半分は日本でという計画を聞いて、――この子たち、本気らしいわ――と思った。おじさんの方も、ともかくずば抜けて頭がいいし、日本の同じ年頃の男の子に比べ、立ち居振る舞いも大人びて、口にする意見もなかなかしっかりしているダニーを結構気に入ったようだった。

   そして卒業式の日がやってきた。コーネル大学の卒業式は、5月最後の週末、メモリアルデーの前3日間にわたって繰り広げられるお祭り騒ぎだ。両親から兄弟姉妹、元気ならおじいちゃん、おばあちゃんまで、家族総出でやってくる者も多い。

   そんな訳で近隣の町、村のホテルというホテル、ペンションから下宿まで、すべて家族で満員になってしまう。みどりの両親もホテル予約解禁日というその日の、その時間にすぐ電話をかけてみたが、日本からモタモタやっているうちに取りそこねてしまった。結局、知り合いの教授の厚意で、そのお宅に泊めていただくことになった。事情が事情だったので、気の毒におばあちゃんはお留守番になってしまった。

   夫婦で旅行することなどほとんどないおじさんとおばちゃんも、このときばかりは、二人そろって意気揚々とやって来た。
   もちろん俺にとっても、これこそ晴れの日だった。というのも、俺もハーネスをつけて式に参加していいことになっていたからだ。それに、これを機に、生まれ故郷のイサカを巣立ち、日本へ移住することになるのだったから。



   俺は前日お風呂に入れられて、念入りにブラシをかけられ、新品のハーネス(黒い平紐に銀色の魚が縫い付けてある超格好いいやつだ)をつけると、胸を張って、足をたかだかと挙げて行進した。すぐそばを、大きなラブラドールが、ノッシノッシと歩いているのにはちょっと緊張した。ラブの奴、持ち主のキャップ――例の、本を上にのせたような四角い帽子だ――を頭にのっけて、自分が卒業生みたいな顔をしている。うらやましかったが、いかんせん俺は猫で頭が小さすぎた。あんなもの被ったら、首まで全部隠れちまう。

   スタンドのどこかで、着飾ったおばちゃんとおじちゃんが、首を鶴のように伸ばして、猫を従えた我が娘の晴れ姿を探しているだろうと思うと、痛快だった。
   それにしても、大学最大のグラウンド一杯に、キャップ・アンド・ガウンの正装で座った卒業生、同じくキャップ・アンド・ガウンの上に、それぞれの格に従い、さまざまなデコレーションをつけた教授陣の姿も壮観ながら、観客席を埋め尽くした晴れ着姿の父兄というのも、なかなかよそではお目にかからない景色だった。

   式の途中、いきなり上空をセスナが、「卒業おめでとう、キャロライン・ミルフォード」という横断幕をなびかせて通過したのには度肝を抜かれた。父兄も学生も、来賓のスピーチそっちのけで、空を仰ぎ、天下の親バカの無駄遣いに見とれた一幕だった。



   式の後は、学部別のレセプションだ。みどりのいたホテル学科は、さすがに一番派手で、ピラミッドのように積み上げられたグラスに、みごとな職人技でシャンペンが注がれるショーで始まった。広い屋内体育館のあちこちにしつらえられたテーブルの上には、いかにもアメリカらしいカナッペにコールドミート、フライドチキン、サンドイッチ、そして定番のドーナッツなど、高級ではないが気前のいい量が積み上げられている。

   おばちゃんとおじさんは、めったに見かけることのない、アフリカのどこかの部族長のご一家かと思えるようないでたちの一群にいたく感動したらしく、 「いやすごいね。ああいう国にもホテル学科で勉強する人がいるとはね」
 と、繰り返しつぶやいていた。みどりは、俺が誰かに踏まれでもしたらいけないと、ずっと抱いていてくれた。

   おばちゃんとおじさんは、娘の晴れの卒業式に出席するという目的とは別に、もしかしたら、ダニーのご両親にも紹介されるのかもしれないという期待というか、不安も胸にあったようだ。ところが、ダニーは不可解な行動に出た。
   みんな両親の滞在中の食事には、必死でいいレストランを予約しようとする。そして、そのうちの一晩くらいは、仲のいいグループが、両親も含め、みんなそろって食事に繰り出す。みどりの両親もベティーやジムの両親たちと、一夜、街から少し離れたヴィクトリア朝のヴィラのようなインで会食した。

   不思議なのは、ダニーがそうしたことに一切に参加しなかったことだ。そればかりか、何しろ小さい町のこと、おいしいレストランの数は限られていて、誰がいつどこのレストランに行くかはお互いみんな分かっているのに、わざと外したとしか思えない、だれにも会わない予定を両親の為に組んだことだった。 卒業式の式典のときは、それこそ数の多い卒業生の中、学部の違うダニーの両親が見あたらなくとも、誰も不思議とは思わなかったが、こればかりは変だった。



   そして延べ4日間、ついにダニーの両親は、仲間の誰にも影さえ見せなかった。
   みどりの両親は帰国する前日に、ダニーとみどりを連れて食事に出掛けた。この最終日のディナーは、俺の思い出の”ダニョーズ”だった。ほら、俺のおふくろが、シェフと懇意で、その店のローストチキンが大好物だったっていう、例の店だ。

   俺は本当は一緒に行きたかったが、猫は客席には入れない。せめて、おやじやおふくろが――もし生きているものなら――今でもちょくちょく来るか、シェフにたずねてもらいたかった。しかし、そんな込み入ったこと、俺がいくら猫語で説明したって、通じる訳がない。みどりのベッドで一人帰りを待ちながら、レストランの厨房の裏口で、シェフからローストチキンをもらうおふくろや兄弟の姿を想像していたら、無性に悲しくなってしまった。

   すると、みどりが帰って来て、
「シータス、きっと好きだと思ったから、残りのチキン、持って来てあげたよ」
と言ったのには仰天してした。確かにうまかった。ジューシーで、香りがあって、噛みしめているうち、なぜかおふくろのお乳の味を思い出した。



   卒業式も無事終わり、荷造りも発送も済んで、いよいよ日本に帰る日が来た。俺は、もう休暇ごとに何度も日本に行っていたから、あの最初のときのような不安はなかったが、また10数時間、カゴに押し込まれて飛行機に乗るのかと思うと気が重かった。しかし、俺よりもっと気が重かったのは、ダニーだった。

   荷造りを手伝い、片付けや残ったものの後始末を気持ちよく引き受け、快活を装ってはいたものの、今までずっと一緒にいたみどりと遠く隔たってしまうと考えただけで、つらかったにちがいない。自分が日本に行けるのは1年後。大学院での最初の1年が終わってからなのだ。

   それはみどりだって同じだったと思う。時々、荷物を整理していると――それも特に、いらない物の仕分けをしているとき――フッといろいろなことを思い出すらしく手を止め、しげしげと古ぼけた、ときには壊れかかっているような物を見つめながら、ため息をついていることがあった。

   それに、ダニーと二人で一緒にいても、以前のようにペチャクチャしゃべるのではなく、ただ黙って並んで座っていることが多かった。そんな様子をそばで見ていると、ダニーが苦手の俺でさえ、これからはみどりを独り占めできるという優越感より、二人が気の毒だなと思う気持ちが先にたつのだった。

   シラキューズの空港まで送ってくれたのはダニーだった。4年間、故障を直しながら乗り続けたみどりの愛車、ポンコツのフォードで最後のドライブ。あとはダニーが買い手を見つけ、売りさばいてくれることになっていた。
「この車にも、随分てこずらされたね」
「うん。でも、結構重宝したじゃない」
「そうだね。もし僕がまだイサカにいるなら、この車、引き受けてもいいんだけど、シカゴに行くと、駐車場もなかなかままならないから……」
「もう売り頃よ。これ以上乗ってると、あとは廃車にするしかなくなっちゃうかも」

   二人はつとめて関係ない話題を選んでいる。
「シータス、日本で君のご両親とうまくやっていけるかな? またいたずらばっかりして、追い出されちゃうんじゃない?」
「そんなこと、ありっこない。第一、私がシータスを離さないもの」

   俺を気遣っているふりをしながら、ダニーの声のどこかに、それを期待しているような響きを感じたのは、俺のひがみだったのだろうか?
いよいよ搭乗が始まると、ダニーとみどりはひしと抱き合い、頬にキスして、
「電話するから。それに、なに、すぐじゃないか。来年は僕も日本だ」
「そうね。電話……ちょうだい。私もかける。元気でね」

   搭乗を促す最終アナウンスにせきたてられるように、ダニーを振り切ったみどりは、後を振り返り振り返りしながら機内に消えた。

   俺は、これで当分ダニーのあの足音や、でっかい声に悩まされることもないと思うと、本気でホッとしたけれど、同じ男として、これからダニー、寂しくなるだろうなと、ちょっと気の毒だった。
   飛行機が飛び立った後、みどりの思い出がギッシリつまったあのフォードで、一人寂しくイサカに戻って行くダニーの姿が、目に浮かぶようだった。



   東京での生活は単調だった。就職したみどりは、毎朝定刻に出勤すると、夜まで帰ってこない。俺はおばちゃんとムサシの3人で毎日を過ごした。外出はほとんどなくなり(日本では、ペット持ち込み禁止のところがメチャ多いのだ)、勤めから戻ったみどりは、もう俺を連れて散歩する元気も残っていない。

   それに、東京の町は住宅街といっても車の通行が多く道幅も狭いので、俺がフラフラ気ままに歩き回れる状況ではなかった。いつしかハーネスは色あせ、俺も排気ガスにまみれてまで外出する気もなくなった。
   瞬く間に1年が過ぎ、ダニーが日本にやって来た。といっても、俺はもうほとんどダニーの存在など忘れていたのだが。

   そんなある日、玄関のベルが鳴ったので、俺はお客様かと思って迎えに出た。ところがドアを開ける前に、あの臭い、あの足音を感じてしまったのだ。ドアを目前に回れ右。まっしぐらにみどりの寝室へ駆け込んだ俺を見て、おばちゃんとみどりは顔を見合わせた。もちろん、ドアの外に立っていたのはダニーだった。
「シータスったら、まだあなたのことを覚えていたのよ」
「そりゃ、覚えているだろう」
「違う違う、ダニーが苦手だってことを覚えていたのよ。今も玄関を開ける前に、あなただって気づいて逃げて行ったわ」

   横でおばちゃんがクスクス笑った。ダニーは複雑な表情をしている。それでも、久々にみどりと会えたことで有頂天になっていたダニーは、俺のことなどもうさっぱり忘れたように、無視していた。



   それからもダニーは週に1回くらいの割合で現れた。それでも、ずっと家にいるわけではなく、二人で出掛けるので、俺はこれといった被害はなかった。そのうち、ダニーが来る日はすぐに分かるようになった。だって、みどりが朝からソワソワ、ウキウキ、服を選ぶにも時間がかかるし、化粧もたいしてしていないながら念入りだったからだ。

     電話もよくかかった。もちろん携帯に。奴からの電話は着信音も特別のが設定してあったから、奴からかかると、家中みんなに知れてしまう。みどりは電話を抱えてあわてて自分の部屋に入ると、ドアを締め切って長いこと話す。終わった後、うれしそうにしているときもあれば、むっつり不機嫌なときもある。俺は、みどりの顔付きで、喧嘩したのか楽しい話だったのか察しがつくようになった。

   学生のころ、みどりはダニーとのことをよく俺にしゃべってくれたので、顔色など読む必要はなかったのだが、近ごろは、ダニーとのこととなると、俺など眼中にないといった様子で、何ひとつ言ってくれないのが不満だった。
to be continued

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