驚いたことにおばちゃんは、チャッカリとみどりの寝間着を着て、みどりと俺のベッドにもぐり込んだ。
俺はニャーニャーって抗議の声をあげたんだけど、おばちゃんは一向に気がつかない。
みどりがあわてて部屋の外に俺を連れ出し、
「だって、ママの荷物は迷子になっちゃったんだもの、今夜着るものがないでしょ。それにベッドは、こんなに広いダブルベッドなんだから、最初からママはここに寝かせるつもりだったの。だって、居間のソファじゃゆっくり眠れないに決まってるから。シーちゃん、文句を言うんじゃありません。お前も一緒に寝ていいんだから。3人で仲良く寝ようね」

まだ文句を言い続ける俺を無視して、みどりは寝室に戻って行く。
「ママ、私とベティーは明日の試験勉強をするから、先に寝てて。時差で疲れてるでしょうから、明日の朝はごゆっくり。私が起きてもかまわず寝ていて」
「そう、じゃそうさせていただくわね」


   おばちゃんは歯を磨き<……ハブラシセットだけは、空港職員がくれたんだ> みどりのシャワーキャップを被って風呂に入り、みどりのいちばんお気に入りのピンクのバスタオルを使って身体を拭いた。
じっとその様子を見ていた俺に、
「あらシーちゃん、男の子のくせにそんなにジロジロ見ないでよ」
と、ケラケラ笑う。
「あー気持ちよかった。ぐっすり眠れそうだわ。それじゃベティー、みどり、お先に」
と、ベッドにもぐり込んだおばちゃんは、スタンドをつけ、手荷物のカバンから出した本を広げた。
<なんだ、寝ないのかな?>
俺は知らない人と寝る気にはなれないので、部屋の隅に座って、観察することにした。

おばちゃんはメガネをかけ、スタンドにグッと近寄ってページを繰る。
30分……1時間。
みどりが部屋を覗いて声をかける。
「ママ、眠くないの? 今夜は薬を飲んだら?」
「そうね。最初の2日くらいは睡眠薬で無理やり眠らないと、近ごろなかなか時差が解消できなくなってきてるから」
と、起き上がって、また手荷物カバンをゴソゴソ。
小さなビンに入った錠剤を2錠取り出し、風呂場に行って飲んだ。
居間を通過するときベティーとみどりの広げた本をのぞき込んで、
「明日は何の試験? エッ! 会計学? みどり、そんなの分かるの?」
と、笑う。
「自信がないからベティーと一緒に勉強してるのよ」
「そう、大変ね。 じゃ、お先に」
「アッ、ママ、スタンドをつけてるときは、天井の電気は消してよ。もったいないから」
「はい、はい」


   部屋に戻って言われたとおり天井の電気を消したおばちゃんは、
「みどりはああ言っていたけど、これじゃちょっと暗くて本が読みにくいわ」
と、またつけて読み続ける。
俺はベッドに飛び乗り、
<いけないんだよ。みどりの言うとおりにしなくちゃ。ここはみどりの家なんだから>
と、わめいた。
しかし、おばちゃんにはただニャー、ニャーとしか聞こえないらしい。
「シーちゃん、どうしてそんなにうるさいの? おばちゃん、もう寝るのよ。静かにしないと、みどりもお勉強ができないって」
とかなんとか、勝手なことを言って、俺を無視して本を読み続ける。
腹が立ったんで、タンスの上に上がり、ドシンとおばちゃんの上に飛び降りてやった。

「アッ、痛たた……シーちゃんったら、やめなさい」
その声を聞き付けて、みどりがやって来た。
「ちょっとみどり、シーちゃんが、おなかの上に飛び降りて、意地悪するのよ」
「こら、シータス、やめなさい!」
みどりは俺を乱暴につかんで、ベッドの下に放り投げた。
俺はもうカンカンだった。おばちゃんは、やがて電気を全部消して、スースー寝息を立て始めた。
俺も眠くなったので、ここは休戦。



   しばらく眠った。2時間もたったろうか。
おばちゃんはトイレに起きた。
「お茶を飲み過ぎたのかしら?」
とか、独りごとを言っている。
<フン、お茶のせいじゃなく、歳のせいさ>

   俺は片目を開けておばちゃんの様子を伺いながら、口の中でつぶやいた。
「あら、シーちゃんったら、ベッドでおばちゃんと一緒に寝ているのね。お口をモグモグさせて、きっとおいしい夢でも見ているんでしょう」
<……まったくこの人、なにも分かっちゃいない>

   みどりたちはまだ勉強している。
もう午前2時だ。
   トイレから戻ったおばちゃんは、また布団にもぐり込んだが、寝付けないらしい。
あっちを向いたり、こっちを向いたり、ベッドの中でゴロゴロ姿勢を変えてばかり。
そのたびにベッドが揺れるから、俺だって目が冴えてしまった。
仕方ないので部屋の中を歩き回り始めた。
おばちゃんは眠るのをあきらめたらしく、また本を取り上げる。

しかし、いくらもしないうちにみどりが来て、
「あらママ、眠れないの? 私、勉強が終わったから寝るわよ。まだ本を読むの?」
 迷惑をかけてはと、おばちゃんはあわてて本を閉じた。
みどりはベッドに入って数分もしないうちにスヤスヤと眠ってしまった。


   それから1時間あまり、じっと我慢していたおばちゃんは、せっかく俺がウトウトっとしたところでそっとベッドを抜け出し、居間でスタンドをつけると、本を広げた。
さっきの薬が全然効かないらしい。

   俺はまだおばちゃんを100パーセント信用していたわけではないので、眠ってしまうわけにもいかず、仕方ないから居間まで付いて行ってドアの陰から監視することにした。
おもしろいもので、本能が退化して鈍感になってしまった人間でさえ、だれかに見つめられていると感じるものらしい。
すぐに本から顔を上げ、
「シーちゃん、寝ないの? おばちゃんを待っていてくれるの? もう少し読むから、どうぞ寝てちょうだい」
 だってさ。
別におばちゃんにつきあってるわけじゃないのに。
それでもじっと見つめていると、
「はいはい、寝ますよ。寝るまでそうやって見ているつもりなのね」
 と、腰を上げた。
<……分かればよし>

   おばちゃんはそれからもずっと眠れなかったらしい。
俺には、寝返りさえうてず、悶々としているのがよく分かった。
おばちゃんがやっと眠りに落ちたのは、みどりの目覚ましが鳴る1時間ほど前だった。

   目覚ましのやかましい音に、顔をしかめながら起き出したみどりは、かたわらで眠りこけている母親を見やる。
「ああ、ママはいいな。寝ていられて。私は試験に行かなくちゃ」
隣の部屋で、ベティーも起きた気配だ。
みどりは俺の皿にドライフードを入れてから、ベティーと二人、コーンフレークスにミルクをかけたものをかき込むと、あわてて出て行った。


   さあ、アパートの中はおばちゃんと俺だけになった。
そっと様子を見に行く。おばちゃんはまだグーグー。
ビクリともしない。
じっと顔をのぞき込む。なるほど親子だけあってよく似ている。
目はつぶっているからあまりよく分からないが、どちらかといえば丸っこい顔の輪郭、広い額、への字型の眉、耳の形……。

口元と鼻はちょっと違う。
おばちゃんの方がいくぶん鼻が高いかわりに唇もポッテリしている。
みどりのはもうちょっとこじんまりした口だ。

そういえば、おふくろは俺のことを、
<あんたは、父さんにそっくり>ってよく言っていたっけ。
みどりは一応、ママそっくりってわけだ。
全体に丸っこい身体つきも似ている。
みどりもおばちゃんくらいの歳になったら、きっとこんな体型になるのだろう。

   眺めているうちに、ふざけてみたくなった。
コンフォターの上に投げ出すように出ている手にそっと鼻をこすりつけてみる。
おばちゃんの口角が、気持ち吊り上がったようだ。
次に手の甲を舐めてみる。うん、味も匂いもみどりによく似ている。
おばちゃんは夢の中で猫を撫でているのか、無意識に俺の頭を撫でる。

   そんなことをしばらく続けているうちに、退屈でたまらなくなった。
たった一人で留守番をしているならいざ知らず、遊び相手がいるってのに、ぼんやり窓の外を眺めることもなかろう。
とうとう俺は必殺の技で起こしてみることにした。

   整理ダンスの上に上り、みどりお気に入りの香水ビンを投げ落とす、あの手だ。
ひとつポトン、ふたつカタン、みっつドン、よっつ……。
おばちゃんの目がパチッと開いた。
いぶかしげに辺りを見回している。
「何の音かしら!? アッ、シーちゃん。だめでしょ。みどりの大事なコレクションに触っちゃ!」
どなりながらおばちゃんはガバッと身を起こした。
チラリと時計を見る。まだ7時半。
<……しめしめ、 俺はおばちゃんの声など聞こえないみたいに、1つずつ投げ落とすのを続ける>

   ちょっと調子に乗り過ぎて、大きめのを落としたら、ガチャン! ものすごい音がした。
おばちゃんはつかつかとタンスのところへ歩いて来て、むんずと俺を捕まえようとする。
俺は自分から飛び降りた。
<鬼さんこちら……>
「なんて悪い子! メですよ」
 おばちゃんは、心地よい眠りを妨げられた怒りと、まだ寝ぼけているのとで日本語でどなっている。
俺は何を言われているか、さっぱり分からないふりをした。


   ピョン。おばちゃんがいままで眠っていたベッドに飛び乗る。
おばちゃんは、今度はベッド目がけて突進だ。
そこでまたピョン。背の高い洋服ダンスの上に飛び乗る。
「こら、降りなさい。埃で足が汚れるわ」

   おばちゃんの手が届かないのをいいことに、しばらくその上で焦らしていた。
やがておばちゃんは、
「じゃ、いつまでもそこにいらっしゃい」
 と言うと、またベッドにもぐり込んだ。
娘たちが帰ってくるまでまだ時間がたんとあると思ったのだ。
俺はタンスの上からおばちゃんのおなか目がけて飛び降りる。
「ギャッ!」
 おばちゃんが、尻尾を踏まれた猫みたいな声を出した。
「なんて悪い子! みどりが帰ったら言いつけますからね」

 一度悪さを始めたら止まらなくなる俺は、勢いよくベッドの上を駆け巡る。
これではおばちゃんも寝るどころではない。
俺を捕まえ、部屋の外にほうり出してドアを閉める。
俺も負けてはいない。
すぐにドアをガリガリ、トントン、ドンドン、ドシン!
最後は体当たりで大騒ぎ。

   とうとうおばちゃんは、ガバッとドアを開けると、
ドスの効いた声で
「本当に呆れた。あなたみたいに悪い子は見たことがありません」
と言ってにらみつけた。

to be continued

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